|
さて、本日はいよいよ結論を書こう。
長々つらつらと私が気づいた過程を書いてきたが、ここで結論から言うと、これはまちがいなく「ストレス」の一種類であるというのが現時点での私が立てた仮説(結論)である。
「えー、ここまでひっぱっといてそんな『どうにでも解釈できる結論』なわけー?」って、感じですよね。(全然面白くない結論でホンットごめん)
でもまぁ、ここで、私が挙げたもよおす条件を箇条書きにしてみるので省みていただくと、
検索行為として ・本屋 ・図書館 ・レンタルビデオ・DVD屋 ・中古レコード屋 (新譜を扱うCD屋より、中古屋の方がもよおす んだコレがまた。これも未知度数の高さとい う点で一致している) ・辞書引き ・地図よみ
個人的楽しみとして ・気合いの入ったライブの前 ・手紙書きをしようとしたとき (自らの表現もまた大きなカタルシス)
そして、 同じ辞書でも ・国語辞典より漢和辞典
同じ地図読みでも ・知ってる道より知らない道
これらのシーンに於いて、もよおす確率は高くなると書いた。 しかも、これら全てに共通することは「カタルシス」であり、すべてが「カタルシスを得ようと行動したとき」つまり「まだ気持ちは浄化されていないとき」であることを指摘した。
そこに、たとえどんなに「ワクワク&ドキドキ」する楽しい気持ちがあったとしても、深層部分では「浄化し終えていない」、「浄化目的で何かを探しているがそれを得られていない」という、期待が高いがゆえの不安とやらがどこかにあるに違いない。
と、私は踏んだ訳である。 その不安こそがストレスであり、神経性の刺激を最も受けやすい腸が反応している……とまぁそういう仮説だ。 好きなこと・ワクワクでるんるん(て死語?)な気持ちの中身はポジティブシンキングだけかと思いきや、その実ネガティブにも「ストレス」なんてものが関与している……、と考え着いた事に、私としては意外性があった。
「本屋で便意な体質だ!」といくら言っている私でも、毎回毎回もよおしているわけではない。(ライブの時だけは毎回毎回だったけどな・笑)タイミングとかコンディションもあるんだろう。無いものは出せんって時だってあろうし。
もよおす人ともよおさない人の違いは、そういった状況から、体質の違いというよりは受け止め方の違いであると私は判断している。
例えていうなら、「大勢の人前で話すこと」に対し、適当に緊張する人・まったく緊張しない人・体が震えてしゃべれなくなるほど緊張してしまう人など、色々いるのと同じような感じだ。 「人前で話す」というひとつの行為に対する受け止め方の違いが、心拍や発汗や震えという身体の状態に現れるわけだから。
私はスキューバダイビングはしないのだけれど、スキューバダイビングを趣味にしている友人のお兄さんが
「陸上に心配事や気がかりな事を残したまま海に潜ると、酸素の減り方が全然違う」 と話していた。
そういう、いわば「小さなストレス」を抱えるだけで、(完全な無意識下で)空気を余計に吸わないといられないデリケートなココロを、人は持っているわけで。 私が「検索行為×便意の因果関係」について出した結論は、ココロが行動を司っているダイエットにも決して無関係ではないなぁと感じる今日この頃なのだった。
(この項おわり)
※ここまで長々読んでいただいた方には感謝です。 本屋で便意をもよおしたことがない方にはあまりキョーミがわかない話題だったかもで、いまいち食いつきの悪いテーマではありましたが、この現象を起こす性質をお持ちの方にはウケているな……という確かな手応えは感じております
|
最後のスキューバダイビング時の酸素の量のお話なんて、とても印象的でした。
人間って複雑な生き物なんだと改めて思い知らされます。だからこそ、すごく興味深いと感じます。自分のことだから「一応知ってるつもり」でいるけど、案外知らないことって多いと感じ、断片でも知ることはすごく楽しいです。