4月下旬から1ヶ月彼を自宅で介護してきましたが、28日の午前8時55分に旅立ちました。
4月下旬に具合が相当悪くなり救急外来へ行きました。 痛み外来にも通い痛みはコントロールしていたもののそれも効かなくなり、3日間モルヒネ点滴をしましたのですが、それと同時に爆睡というか、薬のせいでしょうけど良く眠っていました。 ずっと眠れなくて疲れ切っていたので、やっと眠れて良かったと思っていたものの、ベッドに寝たきりだと1日1gの筋肉が落ちていくとか。。40歳以上の男性では1年に1gの筋肉が落ちると聞いたことがありますが、それが1日で無くなってしまうとは驚きです。
このまま入院になるのかと思いましたが、「もはや何もすることはできない」と言われてしまい4日目に帰宅することに。(3日間救急外来の廊下のベッドで寝ていたのですよ。あまりに患者が多いので部屋には入れずずっと廊下でした)自力で歩くのが少し危うかったので車椅子を用意し帰宅しました。
彼と一緒に彼ママの介護をしてましたけど主に彼がやっていて私はお手伝い程度のアシスタント。私一人で歩けなくなった彼を全面的に介護するのは並大抵ではありませんでした。 初めて介護の大変さを痛感しましたし、彼のできないことが増えてくると私の負担も徐々に大きくなりましたが、最後の臨終まで彼の側にいて付き添えたことはとても嬉しく思います。 彼も苦しい思いを沢山しましたけど、自宅で私の側にいれて幸せだったとのではないでしょうか。
少し前から全面的に手伝ってくれたBさん(グループリーダー)にはとても感謝しています。長兄のように慕ってくれて亡くなって涙が枯れるほど泣かれていました。 お掃除に来てくれていたアンジェリーナさんも号泣でした。 ご近所の人やグループの皆さんも次々に弔問に来てくださり彼の喪失に涙を流されていました。
沢山の皆さんに愛された彼でした。もっと一緒に楽しいことをしたかった。Bさんと日本へ行こうと行っていたし、もっともっと長生きして欲しかった。 明日のお葬式まで彼息子が一緒にいてくれますが、一人になったら一気に寂しさが押し寄せそうです。。
応援してくださった皆様に感謝しています。 ありがとうございました。
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ガイヤさんの心身の具合も心配です。
どうぞ、ご自愛くださいね。
ありがとうございます。
怒涛の1ヶ月だったので、体を安め、心の健康も少しずつ回復できたらと思います。
まったくマメグラを開いていなかったので、今更ながら彼がなくなったことを知りました。本当に寂しくなりますね。ついこの間まで、仲良く旅行したり、お友達のためにお料理をしているイメージがあるので、なんだか信じられません。ガイアさんも、介護は大変だったでしょうが、あっという間に彼に去られたような、ぽっかり心に穴が開いたような気持ちなのではないでしょうか。どうぞご無理なさらず、しばらくは人に甘えてゆっくりしてください。
ご夫君のご逝去の報を読み、心から御冥福を祈りつつガイヤさんの悲しみが少しでも癒やされることをお祈りします。
今までは率先して義母さまの介護をされていたご夫君が、ご自身は本当に短い闘病生活で虹の橋を渡られてしまわれましたね。
周りの人たちに慕われていたお人柄はガイヤさんの日記から読み取れました。可愛いお孫ちゃんと会うのを楽しみにされていた優しい方を亡くしてさぞかし淋しくなられたことでしょう。
でも、最愛の彼はこれからもガイヤさんをずっと見守ってくださいますよ。ご自身の健康を第一に、ゆっくりお過ごしくださいね。時間が悲しみを和らげてくれると信じて決してご無理をされませんように。
いつも遠くから応援していますよ。
彼は去年の大晦日から具合が悪くなり、いろいろな病院で入退院を繰り返し、4月の下旬からいきなり介護が必要な状態になりました。
以前はせりかさんが仰るように、パスタやトマト瓶を購入するために遠出したり、グループの皆さんの集まりでは料理を振る舞っていました。グループ内のシェフと呼ばれていたんですよ。
今年になってからはずっと私が料理をしていましたし、元気な頃の彼はもう随分昔のような事に思えて、元気な状態でいきなり亡くなったのならその良い状態での彼の思い出が残りますけど、何だか辛い彼をずっと見てきたので複雑ですね。。良い思い出は沢山ありますけど最近の彼しか思い出されません。。
幸いグループの皆さんに優しくしてもらって、電話を毎日くれたり、昼食に誘ってくれたり、手作りパスタが上手はGraziaさんからは作りたてのオレッキエッテを頂いたり、すでに2回も食事に呼ばれています。何かといろんな人に構ってもらっていますし、遠い友人からも遊びに来るように言われています。
まだ色々な手続きが終了していないので、全部終わってから出かけたいと思っています。
日中は彼のことを色々考えないようにとあれこれ忙しくしているのですが、寂しいですね。。
ありがとうございます。
彼ママとは2年半同居しました。彼はよく尽くしましたよ。それを見ていたせいか、私も最後まで彼に尽くしたいと思っていたんです。
日増しに具合が悪くなっていく彼が、唯一心から残念に思うことは孫娘の側で見守ってあげれないことと言っていました。週に2回はPCでPCでお喋りしていましたし、一人息子のことはすごく愛していましたけどそれ以上でした。介護期間の1ヶ月は体調の悪さとモルヒネのせいで頭がはっきりせず、孫娘とのお喋りもできなったので心残りはあると思います。
彼が肌身離さずさつけていた2つのペンダントヘッドがあるのですが、1つは息子(Padre Pio)に、もう1つは私が貰いました(マリア像)。金のネックレスに付け直してずっとつけています。守られている感じがしますね。
毎日忙しく立ち回っているのですが、色んなことが落ち着いた時に、新ためて悲しみや寂しさが押し寄せてくるのな、、と思っています。。
わたしもマメグラフが不定期で、今、日記を読みました。
彼氏さんのご冥福をお祈りいたします。
本当に寂しいですね・・・
わたしもついこの前まで、ガイアさんと食材を求めていろんなところに元気にお出かけしているイメージでした。
Bさんやアンジェリーナさん号泣だったのですね。
わたしも読みながら涙が出ちゃいました。
でも、ほんと、さいごはガイアさんと自宅にいれてガイアさんと一緒に過ごせて幸せだったと思います。
これからもきっと彼氏さんはガイアさんのこと見守ってくれてますね✨
ふとした時に思い出しちゃうと寂しくなっちゃうと思いますが今はまわりの人にたくさん甘えて下さいね。
素敵なグループのみなさんがいるのはガイアさんの人徳ですね。
わたしもガイアさんの悲しみや寂しさが少しでも癒やされるようにお祈りしてます。
返事が遅くなりごめんなさい。
ホスピスも考えてはいたのですが、やはり自宅療養した方が手がゆき届きますしね。
彼が肌身はださずつけていたペンダントヘッド2つのうちマリア像が彫ってあるものを身につけています。
何か問題があると、彼に助けてもらえるように呼びかけてますよ。
いきなり一人になって、まだまだ精神的には癒えていませんが、徐々にですね。
チョコさんの優しさが身に染みます。
ありがとうございます。
ガイアさんに最後まで看取られて、彼は本当に幸せだったと思います。
たくさんの思い出がありすぎて、これから竹さん涙が出ることもあると思うのですが、たくさんの思い出と一緒に彼のお心さんとともにこれからも穏やかな日が続いていきますように。
心よりご冥福をお祈りいたします。
2024年の大晦日から具合が悪くなり、あらゆる治療をしてしまったのでもう何もすることは無いと言われました。。ホスピスも考えましたが、やはり彼との時間を大切にしたいと思い自宅療法を選びました。
最後の1ヶ月は日に日にできないことが増えてくるし、私1人での介護というのはとても大変で、彼を持ち上げることも容易ではなく限界を迎えていたのも事実です。
でも臨終の時まで彼に寄り添い、彼も幸せだったのでは無いかと思っています。
スライドショーで写真を選んでいる時から涙、涙でしたが、1ヶ月の区切りとして親戚、グループの皆さんに彼の思い出としてスライドショーを作成できたのはとても嬉しく思っています。
彼がずっと身につけていたマリア像のペンダントヘッドを形見にこれからも彼を思いつつ前を向いていかないと、と思っています。