8/28☁ 25〜29℃⤵(*^^*) 琵琶湖からの風4m 2247歩 122-84-57
わが家平穏。出来事特になし。
TVの沖縄言葉やそのなまりを聴くにつけ自分の使ってきた言葉のことがそれぞれに懐かしく思い出される。
京都府といっても育った丹波福知山弁はのんびりした田舎言葉。 今もって同窓会の標準語、”元気にしとっちゃか?昔と変わらへんのう”なんて。
そのまま一気に大学への東京弁(ま、標準語としておこう)は双方向の恥じらい(当時、訛りは外国語)が伴った。
社会人になって大阪へ。関東人の大方が嫌う大阪弁にのめり込み。。これはこれで商売言葉としては実に良くできたものだと思って使うのが楽しかった。
転勤で広島へ。慣れるまで子供たちが無口になって!(^^)! だがすぐに”ほいじゃけん”。。3年後大阪弁に戻る時また無口。
大阪本社組ゆえ社内は半分通じたが。。世間では嫌われた。 これまた即応(方言慣れ)。挨拶は”赤ヘル”の主語ぬきで勝った負けたが挨拶代わり(^_-)-☆
そして隠居の今やはりそれなりに京言葉に慣れてはきたが無理に使うとお里が知れて💦”京都のイケず”に引っかかる。
ま、今日はこんな話でお後がよろしいようで👐
アッそうそう。。ミ−ハ−乍ら中村芝翫のやつが又浮気。 三田寛子(わが家の”推し”彼女を”どすえ”はんと称している)が気の毒だが。。もう”別れなはれ”と言いたい。
それからマリナ−ズのイチロ−はん殿堂入りおめでとう🙌
写真は
👀 30℃を下回った今日の京。。それなりに涼し気な伏見城の黄昏。
👀 大曲の花火のゲストは見た顔が。。”ギバちゃん”(柳葉)だった。 若き日”一世風靡”の名で路上寸劇をしていた若くハッチャケた彼を思い出す。。あの頃家内が”推し”だった。あああれから40年。
👀 わが篆刻サイナラ展。。その。。もう回数は省略。
「極高寓極平」は菜根譚より。
最も高度なものは最も平凡なものに宿り、技巧を凝らせば凝らすほど真実から遠ざかり、無心であればあるほど真実に近づく。
※なお。下の黒い白抜きの文字は”側款”と言って石の側面に記す篆書の文字と日時、篆刻者の名前を彫って拓に取ったもの。
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